世界共通かはわかりませんが、少なくとも日本では「根性」や「忍耐力」などの精神論を大事にする風潮があると感じています。
ここでは「根性や忍耐力なんて必要ない!」なんて極端な主張をするわけではありませんが、
超えるべき壁と、乗り越えようとしてはいけない壁があるなと感じたので、それについてお話していきます。
乗り越えるべき壁とは?
昨今では、逆に「根性とか古いよね~」といったような、精神論を否定的に見るような風潮すらあると思います。
言ってる僕も、実は数年前までは「根性とか忍耐力なんて必要ないよね」という考えを持っていました。
苦痛を感じている時点でそれが“好きなこと”ではない証拠だし、
“好きならこと”なら夢中に取り組んでいるうちに勝手に成長しているものだから、そもそも「耐える」とかない。
こんな考えが主に精神論否定の根拠となっていました。
まぁこれはこれで間違いではないと、今でも思っています。
僕は大学時代、部活でやっていたスキーにドハマりしたのですが、正直人一倍練習しているのに、根性や忍耐力といったものをバリバリに発動させて「努力している」みたいな感覚は全くありませんでした。
まるで、子どもが寝食を忘れて漫画やゲームに没頭するように、僕はスキーが上手くなるための練習を楽しんで没頭していたのです。
子どもは空腹や眠気に”根性”や”忍耐力”で乗り越えているわけではありませんよね?そういうことです。
だけども、
「やっぱり根性や忍耐力といったものが必要な場面はあるな」というのと、「メンタルは鍛えるべき」というのが今の僕の考え方です。
「好きなこと」の中にも「嫌いなこと」はある
上述したように僕は大学時代にスキーに没頭していたのですが、すべての練習が好きかと言ったらそうではなかったなと。
スキー場で滑っていたり、インラインスケートで練習するといった実践に近いかたちの練習は大好きでしたが、
中長距離を走るようなトレーニングや体幹トレーニングといったような地味なトレーニングは、正直憂鬱でした。
プロ野球選手を目指している球児だって、野球そのものは大好きだと思いますが、走り込みのトレーニングや素振りといった地味なメニューが好きな人はあまりいないと思います。
だけども「辛いからやらない」「好きな練習だけをやる」では、スキーの上達速度も遅いし、プロ野球選手になんてなれないわけです。
ここは「辛い」とか「つまらない」といった感情や意見は切り離して、夢や目標を達成するのに必要なことを積み重ねていかなければいけないし、
仮に辛くてもつまらなくても乗り越えていかなければいけないことです。
“好きなこと”であれば、その中の全てのことを楽しめるとは限りませんし、
乗り越えなければならない「嫌いなこと」も混じっていることがほとんどです。
つまり、「夢や目標に直結しているような壁は乗り越えるべき」ということですね!
乗り越えようとしてはいけない壁とは?
根性や忍耐力は、「必要」「必要ない」という”ゼロひゃく”で語られることではないと思っています。
ケースバイケースだったり、「これくらいは頑張ってみるべきだけど、これ以上無理する必要はない」といったこともありますよね。
上述したように、夢や目標に向かって突き進む道中でぶつかる壁は乗り越えるべきだと思います。
ですが、逆に乗り越えようとしてはいけない壁、立ち向かってはいけない「辛いこと」もあるなと僕は思います。
それは、
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こんな壁です。
分かりやすい例でいえば、
- パワハラやセクハラを受けている
- いじめや嫌がらせを受けたり、陰口を言われている
- 上司や人事から不当な評価を受けている
- 早起きや満員電車が辛すぎる
- 残業や休日出勤が多すぎる
- 仕事の内容がハードすぎる(合わない・向いていない)
などなど。
会社でこのような苦痛を感じている人はいると思いますし、日常生活でもストレスを感じる場面はたくさんあると思います。
でも、これらって乗り越えた先に何かありますでしょうか?
いじめやパワハラに耐えたところで夢や目標が叶うわけではないし、
「いじめやパワハラに耐える力」を身につけたところで人生において役立つことはない。つまりメリットがありません。
プロ野球選手になりたいのであれば、『素振り』や『走り込み』といったトレーニングは必要かもしれませんが、
先輩から受けているいじめを耐えても「野球が上達すること」には結びつかないし、プロ野球選手にもなれません。
つまり、
このような壁ってまず乗り越える必要性がないのと、乗り越えようと耐えてしまうと心が死んでいきます。
そもそも「乗り越えるってなに?」という話ではありますが、
乗り越えるよりも「心が壊れる」方が先だし、その後の人生に大きなマイナスの影響を与えてしまうことになりかねません。
だから、こういった壁は乗り越えようとしてはいけないし、耐えようとしてはいけないんです。
決して人間関係の問題に限らずです。
僕は会社員時代に飛び込み営業をしていましたが、とてもハードな仕事でした。
残業はあるし、真夏も真冬もひたすら飛び込むので肉体的にはもちろん、数字や上司からのプレッシャーで精神的にもしんどかった。
辛い思いをして頑張っても得られるものは何もなく、これを続けた先に幸せなビジョンが見えない…。
耐えることに何の意味もないと思ったし、「無意味なストレスに耐える力」を身につけたところでその後の人生にプラスなことはないなと思ったので、あまり悩まずに会社を辞める決断をしました。
耐えようとしていたら、絶対に心が壊れて鬱になる方が先でしたしね。
迷わず逃げよう
こういった壁(苦痛)は越えようとしてはいけない。立ち向かってはいけない。耐えようとしていけない。
手っ取り早いのは「逃げる」ことです。
自分がその環境から離れること。
職場での人間関係でいえば、上司や人事に相談してみるくらいは良いと思いますが、
戦って勝ったところで居心地の良い場所ではなくなっていますよね?
昔ならともかく令和となった今は選択肢なんて無数にあるので、一つの選択肢に固執する必要がないんです。
であれば、ストレスに心が蝕まれていく前に「離れる」という決断をしましょう。
こういうケースにおいては逃げても良いんです!
「メンタルは鍛えるべき」というパラドックス
ここでは、「とはいえメンタルを鍛えることは大事だよね」というパラドックスをお話していきます。
先ほど、
- 夢や目標に直結していない
- 乗り越えた(耐えた)ところでメリットがない
壁については乗り越えようとしてはいけない、逃げようということをお伝えしたので、矛盾してるように感じていしまうかもしれませんが、矛盾はしていません。
どういうことかというと、
「乗り越えるべき壁」まで逃げてしまう癖がつくと、夢や目標を達成することが非常に難しくなるからです。
特にビジネスにおいては、ちょっとしたことで挫折してしまう人は正直厳しいかなと感じます。
例えば、
コンサルタントに厳しい(と感じる)こと言われたり、突き放されるようなことを言われて心が折れてしまったり。
ブログに慣れてなくて全然書けなかったり、しゃべることやYouTubeそのものに慣れてなくて全然しゃべれなかったり。
ビジネスを進めてくなかでぶつかった壁が、自分でも昔から気にしていた内面的な問題だったり…。 |
このようなことは、ビジネスをやっていく上でよくあることなんですよね。
ここで「うわ…もう無理だ…」となってしまうと終わってしまうので、やっぱり乗り越えていくべきなんです。
しかし一方で、自分のメンタルが弱い状態で大きな壁にぶち当たるとそれは挫折します。
だから小さなハードルを1コ1コ越えていく意識や、夢や目標に直結しているのであれば「逃げない」という強い意志を持つようにしましょう。
筋トレと同じで、心も鍛えていくことができます。
僕は今では3000字×5記事(計15,000字)のブログを1日で書けますが、当然初心者時代は無理でした。(3000字1記事ですら厳しかった…)
耐えること、乗り越えることを繰り返していくと「当たり前」になっていき、あまり辛いとは思わなくなります。
筋トレみたいなイメージで、ぜひ「心(メンタル)を鍛える」という意識をもってみてください。
ただ、「これは乗り越えるべき壁なのか?耐えるべき苦痛なのか?」という自問自答をするのも大事です!
繰り返しになりますが、乗り越えようとしてはいけない壁もありますからね。
よくある間違っている「根性論」2選
ここからは、僕が生きてきた中で「その根性論は間違ってるよね」と感じたフレーズ2選を紹介していきます。
辛いことから逃げていたら逃げ癖がつく
これに関しては正直ケースバイケースというところはあります。
僕は小学生のときに少年野球をやっていたのですが、スパルタな父親からこのようなフレーズをよく言われました。
正直僕はプロ野球選手を目指していたわけではなく、友達と楽しく野球が出来たらいいと思っていたので、
家に帰ると父親から「筋トレしろ」「素振りしろ」「今からキャッチボール行くぞ」と言われるのがとても辛かったんですよね。
筋トレも素振りも辛いし退屈だし、父とのキャッチボールは怒られることが多かったので辛かったのですが、
「辛いことは耐えて乗り越えるべき」「逃げ癖がつく」
みたいなことを父から言われていましたし、自分で自分に言い聞かせるみたいな感じにもなっていました。
だけど、そもそも僕はプロ野球選手はおろか甲子園にすら憧れてたいなかったわけで、
そのせいで練習嫌いになり”努力恐怖症”みたいな感じにも少しなってしまったので、それらの苦痛に耐える必要はなかったと今では思うんです。
全てにおいて「辛いことから逃げると”逃げ癖”がつく」という意識で耐える癖をつけるのではなく、
やはり「耐えるべきこと」「逃げるべきこと」をきっちり区別して、「耐えるべきこと」のなかでメンタルを鍛えていくべきだと僕は思います。
新卒で入った会社は3年は務めるべき
就活を経験した人なら誰しもが耳にしたであろう「最初の会社には3年は務めるべき」論。
辞めたいと思っても、転職したいと思っても、新卒で入社した会社は最低でも3年は務めるべきだという。
これもある種の”根性論”だと僕は捉えています。
いつ誰が言い始めたことなのかは分かりませんが、
「3年も務められないようなら転職してもまたすぐに辞める」という、逃げ癖がつくぞ的な言い分かもしれません。
それか「辛くても3年勤めてみれば何かの扉が開くから、とりあえず3年は耐えてみよう」という言い分かもしれません。
いずれにせよ、結構昔から言われている“常識”というか“定説”です。
「昔から言われている」という部分がポイントで、つまり古い常識なんですよねこれ。
確かにパソコンもインターネットもない時代においては、「会社に勤める」か「起業する」しか選択肢はなかったし、
昔の「起業」はリスクも難易度も超高かったため、大多数の人が会社員として生きていくしか選択肢がありませんでした。
そのような時代背景においては、
たしかにすぐに辞めてしまうような人は「会社員として生きていく」ことが難しかったかもしれません。
ですが今はインターネットのおかげで起業のハードルが下がり、個人が会社に雇われなくても自由に生きていくことが容易な時代になったので、意地でも会社にしがみつく必要性なんて全くないんです。
「とりあえず3年は務めてみて…」ではなく、「とりあえずインターンしてみて」「入社して1ヵ月様子を見て」改めて選択肢を考えるでOKです。
そこに無駄な根性論を発動させる必要もありませんし、そこでメンタルを鍛えようとする必要もありません。
もちろん、自分の夢や目標があってその会社で働いているのであれば、忍耐強く取り組んでいく必要はありますよ。
まとめ
まとめると、
「その壁は本当に乗り越えるべき壁なのか」という意識を持つことが前提で、
目指している夢や目標に直結している壁であれば乗り越える。そうでないのなら勇気をもって「逃げる」という選択をとりましょう。
同僚からのいじめやお局様からの嫌がらせ、上司からのパワハラなどは耐えたところでメリットはありませんし、夢や目標が叶うわけではありません。
古い常識や根性論に縛られることなく、自分を大切にした上での判断をしていきましょう!